22歳時にBABYSというユーロビート系ボーカルグループのメンバーとして活動し、オリコン新人紹介にも登場している。
その後[生き生きとした自分探し]をテーマに新宿歌舞伎町で脱サラホストデビュー。
シャンパンコールの考案を始めとする、ホスト業界の先駆者として、ホスト業界を日の目に指しそのカリスマ性から、ホスト界のカイザー(皇帝)と呼ばれるが現在はソムリエ試験をパスし、今迄にないエンターテイメント色豊かなソムリエを目指し結婚式の余興や各種イベントに司会業としても出演する傍ら、銀座を中心に飲食店、サービス業、物販プロデュース業を生業とする。またアーティスト活動を再開し「頼朝シャンパンコールでショー』をエーベックスパブリックからリリース。
夜鳥の界と称するボランティア団体を結成し、二度の新潟震災時にいち早く現地に渡り、被災地にて寄付など、その他チャリティーイベント、歌舞伎町の清掃活動などの先駆けとなるが近年は、ボランティア活動は団体の垣根を超えた個人ボランティア活動を重視する。
また、経営者としての顔を持つ傍ら、TV・雑誌、インターネット、講演、執筆等多方面で活躍中。
情報番組[サンデー・ジャポン](TBS系)他、バラエティー番組の出演や雑誌のコメンテイター、本の出版等で活躍中。
朝日カルチャーセンターにて津田塾大学助教授、法政大学梅崎教授と対談や講義などを行った。
2009年には、連続ドラマ[ギラ・ギラ](テレビ朝日系)監修を行い、出演も果たしている。
2012年 ミクロネシア連邦観光親善大使に本名にて任命される
頼朝しゃべくりシャンパーニュのガイドさんですが
泡のお酒のアンバサダーとして生まれました。